ものごとが手探り状態になると、つい占いの記事などを見てしまうものである。近所のコンピニにあった雑誌の別冊・占い特集を立ち読みしてみた。魚座の金運についての項目を読んでみる。貯めるのは苦手で、あればあるだけ使ってしまうが基本的にものすごく困ることはない、と書いてある。前半は当たっている、が後半は最近はずれつつあるかもしれない。さらに読むと、金運を改善するには「金のフレームの時計を部屋の側の壁に掛ける」とある。むむ。金のフレームの壁掛け時計ならあるではないか。しかしあれは・・・・うう、部屋の西側の壁だあ。

実はその時計はある時点まではその反対側、つまり東側の壁に掛かっていたのであるが、なにを考えたのか今では思い出せないが、あるときわざわざ西側に掛け替えた。思えばそれ以来・・といえるほど時期が一致しているかどうかは明言できないが、かつてはまあまあお金に困っていなかったのに、ある時期から急に困りだしたのである。

などと、こじつけめいてはいるものの、なにしろまさに「金のフレームの時計」があるわけで、「思い当たるフシがある」私は家に帰るとあわてて時計を掛け替えた。「金のフレーム」もほこりがこびりつきほぼ「茶色」になっていたので、せっせと磨いて金に戻した。なにしろ、その金が「カネ」を呼び込むのだそうである。東側がそういうものの入り口になるのだ。今まではカネを西の「出口」に誘導して出て行かせていたワケだ。

「入り口」に掛け替え、金の光を取り戻した時計は我が家の経済を救ってくれるか?

ちなみに、とあるHPづくりの話をしていて、占いのページも入れたいね、ということになり、でも占い師に頼んで書いてもらったりしたらお金かかるよね、とだれかが言ったので、私は「いーんだよ、テキトーで。それらしいこと書いておけば」と答えた。周囲の人は笑ったが、私は続けて至極真面目に言った。

「その人がそのときに、その言葉にぶつかる、めぐりあう、ってことがその人の宿命なんだから、それは占いとしてちゃんと成りたっているんだよ」

べつにおためごかしではなく、これは私なりの信念である。どんなまやかしであれ、インチキであれ、遊び半分であれ、あるメッセージに出会うとき、そしてそれが「ピンとくる」とき、その人にとってその「占い」はあたっているのだ。人は出会ったメッセージをこそ水晶玉として、その人のその状況で有効な何かを発見できるはずだ。単に「吉」と出てなにとはなしに前向きに希望がもてる気持ちになる、というだけでもいい。「凶」と出て気持ちを引き締めたり方向転換を考えたりするのでもいい。