アメリカの心理学者が書いた「オプティミストはなぜ成功するか」という本を読んでいる。 その中に、ものの考え方の(その本では「説明スタイル」という用語を使っている)楽観度・悲観度をはかるテストというのがあったのでやってみた。よくある「あなたの"うつ"度チェック」のようなテストよりはかなり複雑で、悲観的か楽観的かを3つの尺度で分析するようになっており、分析の説明より先にテストを受けると(そう指示されている)、答えの傾向が自分ではちょっとはかりにくくできている。つまり、「作為的に」悲観的っぽく、あるいは楽観的っぽくはできないと感じた。
そのテストで、私のものの考え方は「かなり悲観的」という最終結論になってしまった。3つの尺度ごとに楽観度、悲観度がはかられ、その3つを合計した「総楽観度」から「総悲観度」を引いたものが最終得点である。なんと私の楽観度と悲観度はちょうど同じ点だったので「バランスがとれてるじゃないか」と思ったのだが、「得点」はゼロ、ということになり、その評価としては「かなり悲観的」なのである。 数ヶ月前ならいざ知らず、このごろ私は元気であるし、回答もごく普通の精神状態でしたつもりである。設問は、たとえば「配偶者の誕生日を忘れてしまう」というできごとに対し「A:私は誕生日を覚えているのが苦手なのだ」と考えるか「B:ここのところほかのことで忙しかったからだ」と考えるかどちらかより自分の考え方にあてはまることを選べ、というようなものである。
楽観度・悲観度の3つの尺度(側面)とは、悪いことにせよいいことにせよ、それが「永続的なものである」ととらえるか一時的なものととらえるか(永続性)、普遍的なものととらえるか特別なものととらえるか(普遍性)、そしてそれを自分のせい(または「おかげ」)と思うか他人などほかの要素のせいと思うか(個人性)である。悪いことが「いつでもどこでも私が原因でおこる」と思うのが究極のペシミストであり、同じことを良いことについて思うのが底抜けのオプティミストだということになる。逆に言えば、ペシミストにとって良いことは「たまたま、この場に限って、運が良く」起こったのであり、オプティミストには悪いことは「たまたま今回だけ運悪く」起こっただけなのだ。
自分が「かなり悲観的」というのは意外だった。「たまたま、今回のテストに限って、何かの加減で」そういう結果になったのだろう(笑)。永続性や普遍性の項目についてはともかくとして、個人性の項目は「よいことはみんな自分が有能だから、悪いことは人のせい」ってわけだから、謙虚な私としてはそうそう平気では答えられない・・・なんて言って、実は私はこの項目が楽観度も悲観度もともに一番高かったのであった。よいことも自分のおかげだが、悪いことも自分のせい、ってわけで、なんというか、自意識過剰ってやつ?
しかし、たしかに私は根っから楽天的というわけではない。むしろ悲観的だというのは当たっている。そもそも根っからの楽天家は「楽天的であること」についてこんなに四の五の考えたりはしないだろう。自分はそうではなかった、しかし楽天思考の恩恵については大いに認めるところがある。そこで、楽天家になるための努力をしているのである。この本でも(まだ読み切っていないが)「楽天的思考」は修得できる、としている。自分を実験台として楽天思考のメリットを証明し、他の人にもお裾分けしたいというのが現在の私のささやかなライフワークかもしれない。
そもそも、以前もこのたぐいの考え方を書いた本をしばしば読んでみたが・・いや、正確にはそんなに読んではいない、タイトルを眺めたり帯の宣伝文句を見ただけだったかもしれない・・・「オプティミストが成功する、良いことを考えれば良いことが起こる、のなら、悲観的思考から逃れられない私は成功できないし、悪いことがおこるんだ」と考えてしまったものだった。そのように考えてしまうときに前述のテストを受けたら、きっと得点はマイナスだったろう。今でも、告白すればこの思考経路から完全に自由になったわけではない。が、得点はゼロである。「かなり悲観的」ではあっても、なにはともあれ中間地点だ。やっとここまで楽天化した、と思えばいいわけだ。ほら、ちゃくちゃくと進歩はしているみたいだぞ。