たとえば私の場合。本を書きたいという漠然とした望みがある。まわりにあふれる本を読む。こんなのだったら私にだって書ける、と思う反面、そうはいっても書いても出版する当てはないよなあ、と思う。あるいは、いやこういうの書きたいけど私には無理だなあ、もっと今まで体系的な勉強をしておくんだった、とか思う。あるいは、冒険談やユニークな体験談を読めば、私にはそんな面白い経験はないなあ、とも思う。さらには、上手な文を書く人、面白い文章を書く人の本を読めば、いや私の文章なんてまだまだトーシロだしなあ、と思う。またさらに、本を書く場合は「書きたいことがあふれてきて止まらない」感じで書く、という作家の話など聞くと、私の場合はそこまで「溢れて」くるもんかなあ、そうでもないなあ、などとも思う(しかしちょろちょろ「漏れて」はくるのでこういう風に書いている訳なのだが)。
そんなこんなで、手を着ける前に「無理かもなあ」と思い、ただ「漠然とした夢」のままにしているのである。10mの高さの崖に登れといわれているように感じてしまうのだ。
しかし。10mの崖に登るなら、はしごなりロープなりを使えばいいのだ。何もなければ足場を穿っていったっていい。いや、ひょっとすると裏に回ればスロープがあるかもしれない。
クリエイティブ・ライティングという本を読んだことがある。ものを書きたい人への実践的アドヴァイスの本だ。そこには、とにかく毎日書くことだ、なんでもいいから、とあった。 毎日書く。これは実はとてつもなく難しい。話題がまず続かないだろう。時間がとれないことへの言い訳は百万でも思いつくだろう。でも、ひとには「できる苦労」と「できない苦労」がある。毎日書くことは、私にとっては「できない」苦労ではない。これがある意味で正念場なのかもしれない。好きなことをして幸せになることへのキーポイントかもしれない。「好きなこと」のなかには「好きだからこそ許せる努力」も含まれるのだろう。それが一番納得のいくメカニズムだ。 もちろんそれだけで十分なのかどうか、わからない。もっとやらなければならないことがきっとあるのだろう。だけど、ひとつのことをやっているときはそれに集中しよう。「こんなことやってていいのかしら」と思うのをやめよう。
大しておもしろい体験もなく、わき出てくる創作意欲もない私であるが、何かを見聞きしたり、考えたりしたとき、必ずそれを文章にすることを考えるくせがある。構成や言葉の使い方、言いまわしを選びながら考えている。最近それはとくに顕著になってきたようである(もちろんこのHPのおかげである)。このこともきっと私の、それなりに評価しうるもの書き的資質の一端なのだと信じたい。あとはそれを形にすることだけだ。 00/11/30