瞑想迷走中

風呂桶にはまって行うずぼら瞑想法は、一応まだ続いている。しかしこれが本当に瞑想の体をなすにはまだ道のりは遠そうである。

結局のところ瞑想とは、様々な想念によって波立っている「こころ」の、その表面の波立ちを抑えて、静かに内面を見通せるようにするのがまず第一義である。「願いを叶える」方法としては、そうやって波立ちを鎮めてから、自分が実現させたいものごとのイメージをはっきりと思い浮かべ、刻みつけて行くのだ、ということだ。

しかし「鎮める」のは容易なことではない。鎮めようとしているうちに結局眠ってしまうという状態は改善されたので、それでも一歩は進んだと思うが、やはり次から次へと想念は浮かぶ。しかしまあ、最初のうちはそれで仕方がないのだそうだ。ただ、「念を継がない」ということが大事なのだという。念を継ぐ、とは、ある思いが浮かんできたときにそれにとらわれ、その路線のまま考えを追求していってしまうことである。それをせず、なにか思いが浮かんできてもそれはそれとして、それ以上発展させないようにすればいいのだという。しかしまたそれすらも難しい。
「えーと、そうだ○○さんからメールが来ていた、返事を書かなければ・・・(ここで返事の文面をつい考え始めてしまう)・・おっと、そうそう、念を継いではいけないんだ、念を継がない、念を継がない・・と。そうそうこうやって念を継がないようにすればいいんだな。いやまずい、念を継がない、ってことについて考え始めてしまっているぞ。えーと念を継がないためにはどうしたらいいんだ。そうそう、この流れる水をもっと無心に眺めればいいんだな、 うん、これはいい、そうだこのことをHPに書かなきゃな、念を継がないためには・・・って、おいおいずっとそのこと考え続けているやん! 」

しかも人間は意外に、同時に2つや3つのことは平行して考えられてしまうもののようで、すべてのチャンネルを切るのは容易なことではない。現に上記の文章もほとんど「瞑想中」に考えてしまったものである。本当に平行して考えられているかどうかは分からないが(すばやく切り替えているだけかもしれない)これを考えながらも、「よしじゃあ呼吸に集中してみよう、吸って〜〜〜吐いて〜〜〜」とかもやっている。欲をかいて、「鎮める前にとにかく実現したい良いイメージを考え始めたっていいかもしれない、えーと、そうそう、景色の良いところに仕事場をかねた別荘があって、まどがこうなっていてお風呂場が広くって・・・」なんぞと、未だ妄想の域でしかないようなことも「平行」しているのだ。

それでも、なにごとも練習である、練習すればいつかはできる、とあきらめず続けるのが大事なんだよなーー。明日もまためげずに迷走(^_^;)しよう。