「ポジティブにしていればきっと運は向いてきて幸せになれる」と言うと、「それでも不幸な人は実際に世の中にたくさんいる」とか「ポジティブになりたくても**のせいでなれない」と言う人がきっといるだろう。あるいは「ポジティブになれば幸せになれるんだったら苦労はないよ」とか。
しかし、それだったら「悔しかったら(?)ためしにポジティブになってみたら」と言いたい。……すると(困ったことであるが)それこそが難しい、ということが分かるだろう。 「ポジティブになれば幸せになれる」という命題に間違いはない、と思う。とりあえずそういうことにしておく。ところが、「容易にはポジティブになれない」のが実情である。だから、「容易には幸せになれない」ということになる。
キリストも、「汝がすでにそのこと成れりと信じうることのみを願え、さすれば、その願いはかなうであろう」と言っているという。だから「願えばかなう」ということになるのだが、なんでもかんでも成れりと「信じうる」ことは、実際はできない。だから「一夜にして大金持ちに成る」とか「働かずに食って行く」とか荒唐無稽なことは実現はしないのである。しかし、ごくごく常識的な願いであっても、「すでに成れり」とまでポジティブに「信じられる」のはよほどのことであろう。たいがいの人は、そんなふうには信じきれないから、なかなか「幸せになれない」のである。とくにこれまで不本意なことが続いてきた人にとっては、成功のイメージは描きにくくなることだろう。
だかしかし、ここでこそ「努力」が必要になってくる。ポジティブになる努力、である。脳天気になる努力、である。失敗のイメージを弱め、成功を思い描けるようになるための努力、である。ネガティブなことをなんであれ、自分のテリトリーから遠ざける努力である。なかなか「すでに成れり」などと信じ切れるものではないが、そう信じられるように自分を訓練する、という努力なのである。 私はこれからますます意識してそういう「努力」をしていこうと決意した。この「努力」はけっこう楽しい。すぐに魔法のような効果が現れてくるわけではないが、楽しいことを考えるのだから、少なくとも苦痛ではない。 その努力の内容について、これからボチボチ書いていこうかと思う。