もし自分にとって益するところばかりで,何らの欠点もない人がいたとすれば,その人を好きになるのはむしろ当然のことで,別に愛とか何とか言う必要のないことである。それは功利的なことだけである。自分にとっては時に嫌に思うようなところがあっても,そのことの意味を知り,それを受け入れてゆくところに友情が成立するし,そのような行為によってこそ,こちらの人格も改変されてゆくのである。  これは,自分が自分自身に対するときも同様ではなかろうか。いろいろな欠点を持つ自分を,変な表現だが,自分の友人として受け入れてやる,というような心構えが必要なのではなかろうか。

「働き盛りの心理学」河合隼雄 新潮文庫版 P161

河合先生の同じ著書からもう一カ所。自己嫌悪ということについて述べている文章の一部である。

このことに限らず,自分を客観視する,ということが悩みからの脱出につながることは多いような気がする。悩みながらも,どこかでそんな自分を冷静に見つめているもうひとりの自分。 友人であれなんであれ,他人のことはなぜか,かなり正確に「見抜く」のが人間というもので,むしろ自分にとって自分自身は一番欺かれやすい,欺きやすい存在と言えるかもしれない。なぜなら,あまりにも多くの要素が感情の中に存在するので,本質が見えにくくなるからである。  とくに自己嫌悪のようなものは悪循環にはまりやすい。自分は常に自分と向き合っていなくてはならないから,逃げ場がないように見える。しかし,河合先生はこの文章のあとのほうで,自分で自分に対して,『お前も変なところもあるが,ともかくよく頑張っているな』と友人に言うように話しかけてみるとよい,とも述べておられる。  ふっと,スタンスをはずしてみること,が,「はまってしまった」状態から抜け出すには必要なのだ。

 

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