ものごとが,しかるべき時に,しかるべきかたちで起こってくるのだ。「こんなことが起こるはずはない」といって,ちがったことを起こらせようとがんばったりせず,状況にあわせてなるがままにさせておけば,少なくともうまくいく。ものごとの働き方と調子があっていれば,そのときそれについてなにを考えていようと,必要に応じてことが運ぶのだ。あとになってふり返っていうだろう。「ああ,これでわかった。あれは,こういったことが起こるために必要だったんだし,それもまたこれが起こるためには起こらなければならなかったんだ……」。そして,たとえすべてを完璧に運ぼうと努力したところで,それ以上にはできなかっただろうし,ほんとうにそうしようとしていたら,すべて台無しにしていただろう,ということに気づく。

ベンジャミン・ホフ(吉福伸逸+松下みさを訳)  「クマのプーさんの『のんびり』タオ」 講談社+α文庫  p.135

ご存じ「クマのプーさん」を通じて「タオ」すなわち老子・荘子が解いた「あるがままの道」を優しく解説しようとした作品の一節。あとがきにもあるように,これを読んで改めて原作の「クマのプーさん」を書店に買いに走りたくなる(そして私もそれを実際に近々するであろう)。引用したい箇所はヤマほどあって,,というより全部引用しなくては収まらない位なのでここは上記の本を読んでいただきたいところだ。

ものごとをあるがままに,そしてそれゆえに「あるべきように」すすませるのは,「知識」でなく,また「りこうさ」でもない。むしろそれらは「智恵」と「心」の視界をさえぎって,間違った道を選ばせてしまう。「あんまりアタマのよくない」クマのプーは,しばしばその自然な「智恵」によって,頭が良すぎていつもせかせかしているウサギや,愚痴ばかりのロバのイーヨーや,臆病なコブタや,知識ばかりを大事にしてひけらかすフクロを「救う」のだった。

私自身は,今のところ,上記のウサギやイーヨーやフクロにしか,自分自身を投影できない。残念ながら,プーになりたくてなれない私。プーになりたいという想いから,こういうHPを作ったりしているんだけど。 「そんなに急いでどこへいく」なんて言い回しも思い出しちゃうな。どこへも行かなくたっていいのにね。どこにたどりついても,終わりなんてないのにね。

 

   すみません、新HPにはまだちょっとしかネタありまへん。ココをクリックして昔のページを見てね。

 

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