2001.3.24
「あとになっておかしいことは、今もおかしい」
(中略) 最後にぼくは言ったんだ。「リラックスしよう、こいつはおかしいぜ。2〜3週間したら今夜の話をして大笑いするだろうよ。あとになって笑えることは、今でも笑えるんだ」
・・・・(中略)やっと講演会場に着いたとき、ぼくは「オープニング・モノローグ」の長いのをやってのけたね。 人生の「悪い」状況を、あなた自身の「オープニング・モノローグ」の単なる材料として眺め始めてください。不運にはなんと多くのユーモアが含まれているか、気がついてください。
「ポジティブ宣言」P.147 ジョン・ロジャー/ピーター・マクウィリアムズ著 井辻朱美訳  VOICE
 

「ポジティブなことに焦点を当てて」(単に非現実的な「楽観」をするのではなく)人生をラクにしよう、という趣旨で貫かれた、アメリカらしいかなり実践的な本。私自身が「ポジティブ」目ざめた初期の頃に読んだ本で非常に感銘を受けたが、新たに読み返してみるとそれなりにまた新鮮である。

引用した部分は、筆者のひとりジョン・ロジャーが講演旅行に出かけたが、飛行機が遅れたり荷物はなくなったり、とトラブル続きで、講演の時間も迫っていてスタッフもみなイラだちはじめた、そんな状況。その後も「トラブル」はやまなかったが、筆者一行は本当にそれらに対し大笑いしながら対処していったのである。

アメリカ人は講演というものにユーモアがなければ受け入れない。大いに笑える講演こそ、いい講演である。実に彼らは巧みにユーモアをおりまぜた話をする。そして実際、自分が遭遇したトラブルの話というのは「笑える」のである。オープニング・モノローグとは講演の「まくら」のようなものであるが、確かに、これでもかこれでもか、とうち続くトラブルの話は、それも「経験したてのホヤホヤ」の新鮮なネタで、聴衆を大いに笑わせ、惹き付けたことであろう。

別段「講演」をするような立場ではなくとも、人を笑わせる話をする、というのは楽しいことだ。しかし人を笑わせる、みんなで笑いあう、ような話には「人の失敗談」あるいは「悪口」というのが少なくない。ほほえましいものもあるが、笑いを取る、ために人を貶めるようなことはやっぱり忸怩たるものがある(困ったことに本当に悪口は言う方も聞く方も、つい『燃えて』しまうというのは真実だが・・)。忸怩たるもの、とかで済めばよいが、「あの人あなたのことズイブンな言い方してたよ」とでもめぐりめぐって耳に入ったら人間関係もダイナシだ。ヒトをネタにして笑ってはマズイのである。 そこへいくと自分の失敗談なら安心して「楽しめる」。おまけに、失敗やトラブルに遭遇している最中ですら「む、こいつは笑えるネタになる」と思えれば、腹立ちも少しは紛れようかというものだ。「あとになっておかしいことは、いまもおかしい」のだから、笑ってしまえばいいのである。

私はHPリニューアルを考え、「やっぱし人にもっと笑ってもらえる文を書きたいものだ」と思い、いろいろネタを考えていたが、どうにも「ヒトの悪口」しか思いつかない。人の悪口をぜったい言わない、などとイイコぶるつもりはないが、書いて発表するのはいかにもマズイ。なんかほのぼの笑えるネタ、と思っていたら、きのう書いたように『パンツを買おうとしたのに、あまりに太って入らず、結局なんとマタニティを買うハメになった』という事態が起こった。まじにこれはヤバイ、と自らの体型については焦りつつも、事態としては笑うしかない、と思い、「へへ、ネタができた」ぐらいに思うことができた。万事をネタにしてしまうという体勢でいると、たしかにあんまし救いようもなく嫌な事態はないかもしれない。逆に言えば、どんなことでも「笑える」ネタ程度には踏みとどまらせたい、ということもあるかな。

それにしても相変わらず「求めよさらば与えられん」だ。「お笑いネタくれ」という願いは聞き届けられた・・?天使よありがとう(^_^;)