どんなふうに生きていくのか    2001.6.11 <コトバの花束>

「そこで私は問いかけを変えてみました。何をして、どう生きていくのかではなく、何をしててもいいから、どんなふうに生きていくのか。つまり職業によって人生の色合いが決まるという考え方を放棄したわけです。」

朝日新聞 2001.7.31朝刊 ティーンズメールより TETSUYA
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「自分のやりたいことが見つからない」という高校生の悩みに答えたミュージシャンTETSUYAの回答の一部。

そして彼は続けて、「どんなふうに生きていくか」について100箇条を作ってみたことがある、と言う。それはたとえば「落ち込んでいる人がいたら一緒に飲む。目標、効率などのおぞましい言葉は自分の人生から除外する。日本人以外の友だちもたくさんつくる。金魚やカメにもとりあえず話し掛ける。なるべく仕事はしない」など、だと。

これには目からウロコだった。私も悩みを抱えるこの高校生とまったく同じく「自分のやりたいことは何か」を、40ン歳になった今でも考えている。悩んでいる。自分が人生の敗残者になった気がすることもある。この歳でなんのキャリアらしきキャリアもなく、収入も乏しく、さらには子供を産んだわけでもない。いったい私の人生ってなんだったのか? 高校生ならまだ先がある。しかしこの歳ではそういう思いはただ苦いばかりだ。

しかし、「どんなふうに生きていくか」ならば、追認的にでも考えられる。自分のポリシーのようなものには忠実だったつもりだ。あのときああしていれば、今頃もっとリッチだったろうなあ、と夢想することはあるが、後悔ではない・・・・と言い切れないが(^_^;)、まあそのときはそうしか選べなかっただろうし、それが私の私たるゆえんだった、と(良くも悪くも)思うしかない。 そうして自分の人生の輪郭を、仕事や業績や名声や財産などではないツールを用いてはっきりさせていくことができればずいぶんと救われるかも知れない。

「大学名や職業名ではなく、どんな人間として日々を送りたいのか」
深く頷きながら、とりあえず「高校生のように悩む中年オバサン」という在り方を当面はそれなりに追及していこうと思うのだった。 }