「あなたはやさしいのね」「あなたの表情は美しいわ」「あなたの声は素敵ね」,これらの言葉は魔法使いである。  やさしいと言われた男が,よし,多少はやさしくない心を持っていたとしても,その言葉によって,何とかやさしく思われるような行為をしようとでも思わないものだろうか。美しいと言われた女が,よし,多少は美しくないとしても,そのことばによってなんとか美しく思われるような表情になりたいと,無意識にでも思わないものだろうか。   ことばだけで,ひとりの人間がやさしくなったり,意地悪になったりするとすれば,ことばの持つ魔力は計り知れないものがあるのではないか。

「幸福は幸福を呼ぶ」 宇野 千代     集英社文庫 P197

聖書の創世記では,神が「光あれ」と言われたので光があった,と言う。神の子キリストも別名(?)言[みことば]と呼ばれることがある。 ことば,とは要するに「概念」である。あるものや現象が「在って」も,言葉でそれが表せないなら在ることにならない(それはものの「名称」という意味でないのは言うまでもない)。言葉がないところにあるものは,「本能」や,未分化の「感情」でしかない。

・・・などと大上段にふりかぶって論理学や哲学もどきを言ってみても始まらないが,それだけ「ことば」には,たしかに根元的な力があるのである。そういう「ことば」にとって,男を優しくしたり,女を美しくすることなど,朝飯前だ。  ことばにしたことは実現する。それは不可思議な,まやかし的なことでもなんでもない。ことばにすることで,もやもやしたものでも,はっきりと形を取るからだ。ただしその形がいつでも「真実の形」ではない。いや,すべて真実ではあるのだが,それは唯一ではない。

 否定的な言葉を使えば否定的な形が定まる。肯定的な言葉を使えば肯定的な形が決まるのである。  そのような「ことば」の圧倒的な力を認め,自分で持て余すような感情や,他人との関わりや,自分を取り巻く状況に,幸せな形,をとらせていこう。

 

   すみません、新HPにはまだちょっとしかネタありまへん。ココをクリックして昔のページを見てね。

 

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