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ーシー博士のセルフヘルプ とことんNFな私 originally written on 2002.3.23 |
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くそ忙しいのについ、注文していた本が届いたのを読んでしまった。例のカーシー博士の16タイプの性格分析についての本である。 その分類による自分の性格タイプについてはすでにかなり知っていて、納得もしていたのだが、改めてその本を読み、あまりに当たっているので絶句した。いや「当たっている」はおかしい、占いじゃないのだから。的確な分析と描写にびっくりしたのである。 4つの要素についてそれぞれ対立する2傾向があり、4の2乗で16に分かれたタイプよりむしろ、そのうち2つの要素のみについて着目した「4つの気質」のほうに今回はびっくりした。4タイプとはいえ、それだけにものすごく基本的な「発想」タイプについて深く掘り下げてあり、自分で言語化できなかった自分の部分がはっきり描かれているので「おそれいりました」という感じである。人の性格は、生まれつきだけではなく、当然環境や生育歴などで後天的に変化するが、枝葉を逆にたどっていくと、相当に根本的な発想の違いを持つ人々がいるのだと分かる。つまり、人が何によって突き動かされ、何を求めるのか、ということだ。 その4つの気質には、それぞれ象徴的なギリシャ神話のキャラクターが当てはめられている。自由を愛し衝動に生きる「ディオニュソス」(SP)、堅実で実際的な「エピメテウス」(SJ)、知性を追求する科学者「プロメテウス」(NT)、そして理想主義の「アポロ」(NF)である。 私はNF「アポロ」だ。それもかなり強力なやつだと思う(その傾向の点数がかなり突出している)。アポロ型についての記述を読むと
「『どうやったら本当に自分らしい人間になれるのだろうか』とNF型は問いかける。そしてホンモノになるための自己実現にあこがれる。それは、思い描いているような自分になることと、独自のアイデンティティを持つこと。しかし多くの場合、この終わりなき追及の中で、本当の自分は、あるべき姿よりも劣るのではないか、と思い始め、自己嫌悪に陥ることになる」 あああ。そのとおりでございます。 「NF型にとっての自己実現とは、人格者になること、つまり誠実で調和のとれた人間になることである。そこには見せかけも、仮面も、口実も、ごまかしも、演技もない。人格者になることは、本物であること、真実のコミュニケーションができ、自分の内的経験と調和がとれること」 まっっっっっっったくそうです。 「ユニークなアイデンティティを求めるNF型の願望は、意味のある人生を送ることと、世間との違いを作ること。NF型にとって人生とは、ドラマであり、常に意味のあることと出会うことである」 ・・・・・・・;。 さらに描写はあまりにも的確に「私のこと」を言い当てる。いわく、「売り買いを初めとしてどんな商売にも興味がない」「ことばを使う仕事が好きであり、直接的にも間接的にでも人とコミュニケーションのとれる仕事を望む」「自分の個性を認めてもらえることが喜びであり、非難や批判には極端に弱い」 「NF型は『確固とした意味深い人間になれ』という自分の内なる声に突き動かされる」「しかし同時に観客にも役者にもなれるNF型は、舞台に立っていながら、それを見ている観客でもあるというように、実は、認識が分裂しているのである。自分自身である実感がほしいという願望は、皮肉にも、自分自身と、それを見る自分に、永遠に分裂しろと宣告するものなのである」
この日記でもしばしば戯言を述べているように、実に私は、そういうことばかり考えているのであった。 4つの気質といっても、分布は均等でないらしい。わがNF型は、アメリカでは12%しかいないという。S型の2つの気質が、あわせて76%、NT型とNF型はそれぞれ12%ずつなのである。
日本でもそうであるのかどうかは分からないが。 この本の目的は、本当の意味で人々の間の違いを知り、人間関係をスムーズにすることだという。人間は(これは全タイプ共通なのか?)自分と違う発想を「間違っている」と思い、直したがるという。
もちろん、「程度問題」という部分もあろう。「個性を評価されることを望み、批判・非難に弱い」という点など、どんな人でも「そりゃそうでしょ」という感じなのだろうが、NF型ではそれが突出しているという。人一倍、そうなのである。
しかしそれこそがNF型なのだ、と言われるとなんだか少しだけ安心した気がする。 NF型の発想は、他のタイプの人にはとりわけ分かりにくいのだそうだ。他の3タイプは、違うとは言っても、お互いの発想を理解はできる。でも、NF型の発想は他の3タイプには理解しがたく見え、NF型の方も、他の3タイプがなぜ自分と同じような理想に燃えないのかが不思議でならない、という。だがNF型は、言葉に対する深い興味と、コミュニケーションの欲求から、それをこうやって一生懸命伝えたがるのである。 他の人の発想を「直したがる」のも、おそらくはNF型にとくに強い傾向なのだろう。それだけに、この本はNF型のためにこそあるように思えたりする。そもそもこういうことに深く興味を抱くというのがNF型なのである。おそらくはこの本の著者のカーシー博士もNF型ではなかろうか。記述の傾向が、なんだかNF型に自虐的な愛を持っているように感じてしまう。
少数派であり、勝手に厄介な悩みを抱えてしまうNF型だが、作家や宗教家、教師やカウンセラーにはこの型が非常に多いという。すべて私の興味の大いなる対象だ。 NF型人生を覚悟して生きていくしかないようである。 |