<N>(直観)型と<S>(感覚)型 
originally written on 2003.2.27                            

4つの要素の中でも一番分かりにくく,説明もしにくいのが<S-N>指標である。ある人がどちらであるのか,一番判断しにくいのもここだ。一番分かりにくいが,重要度としては一番高いとカーシー博士は考えているらしい。

カーシー博士の2冊目Please Understand Me Uによれば,カップルの相性が一番いいのは,S-N指標だけが同一で(つまりS同士,N同士),あとはすべてが逆の組み合わせだと述べられている。他の要素については,逆である方が補完的に働くので相性がよいが,S-Nについては,異なる場合は「いわば異なる言語を話すよう」なものだ,ということになるらしいのだ。仕事上の関係などであればS-Nの補完関係も期待できるが,愛情関係を基盤にし,お互いを本当に理解したいと思う夫婦などでは,ここが同じである方が無難である。

だがそれが具体的にはいったいどういうことであるのか,理解するのはほんとうに容易ではない。ことによると,<N>型の人間にとっては(それもその度合いが高ければ)自分がNであることはよく分かると思うのだが,<S>型の人にとっては自分がSで別の人間がNであることはピンとこないかもしれない,とも思う。

<N>は,あらゆることについて,背後の「意味」や「法則」を考えようとする,ということが特徴と言えるのではないかと思う。S-Nをはかるテストの中で象徴的と思われる設問は「事実とは? a)伝えれば自然に理解できるもの/b)だいたい解釈を必要とするもの」というものだ。もちろんa)がS型,b)がN型である。N型にとっては,事実はつねに事実以上のもの(あるいは事実以下のもの)である。事実は事実であっても,それの捉え方によってはものごとはえらく違う,と思うのである。つまり,「事実そのもの」よりもその「捉え方」のほうに関心がある。厳然たる事実としてのデータを目の前にしても,むしろその背後にあってそれを成りたたせる「法則」のほうに関心が向く。その法則の具合によっては,目の前のデータですら「例外かもしれない」と思ってしまう。

N型にとってのものごとの「意味」「法則」というのが,おおむね「言葉で捉えられるもの」であることも重要だ。いわゆる「ロゴス」というやつである。我思う,故に我あり,ということだ。最終的に言葉で表現できないものは N型の関心をあまり惹かない。ここで,この「最終的に」というフレーズも重要である。つまり,N型が捉える(捉えようとする)意味などが,最初は言葉にできない単なる「感じ」である場合もあるのだが,N型の目標はそれを言葉で表す(すなわち,概念として理解する)ことでもあるからだ。

N型は<直観型>と訳される。Intuition「直観」という語の2番目の文字をとって<N型>とするのである。それに対しS型は<感覚型>と言うことになる。英語ではSensation「五感」なのである。そもそもこの「感覚」という言葉と「直観」という言葉の捉えられ方が曖昧であることが,S-N指標を分かりにくくしている要因だ。「直感的に」という言葉と「直観的に」という言葉はそっくりだが,微妙に違う。N型はあくまで「直感」ではなく「直観」のほうである。入り口ではその両者は同じとも言えるのだが,行き着くところが違う。「直観」されたものは,それなりに後で「構築」されなければならないのだ。平たく言えば,ただ「感じる」だけではなく,「観る」のであって,何度も言うが,事実の背後の「意味や法則」を観通そうとしたがるのがN型なのである(そういう「能力」があるかどうかはとりあえず別問題で,そう「したがる」ことだけがまず重要だ。もちろん,「したがる」ことは「できる」に通じるのだが)。

しばしば,N型が「現実離れした夢想家」のように語られるが(私も以前はそう思っていたが)必ずしもそうではない。また,そういう流れから,それでは芸術家はN型か,と思うかもしれないが,それもそうとも限らない。むしろ,画家などは多くがS型ではないかと思われる。画家にとっては,五感で感じることを目に見えるものにすることが喜びであり,その背後の意味などを見通してはいても,それを言語化しようなどという欲は持たない,だからこそ画家になるのである。

NF型であればしばしば「現実をないがしろにして夢に遊ぶ」ことはあろうが,NT型は決して現実をないがしろにはしない。ただ,「目の前の現実だけにはとどまらない」のである。必ずその奥に入っていこうとする。 「直観」というものは,しばしば「飛躍」であったりもする。発想の飛躍,論理の飛躍。しかしN型自身はそれを飛躍とはあまり思わない。少なくとも,そこに至る道筋は本人の中にはあるのである。そしてその道筋をちゃんと他の人にも分かるように示したい,という欲求もある。それゆえNF型は人とのコミュニケーションを重視し,言葉を使う仕事が得意になる。NT型は直接のコミュニケーションではないが,論文を書いたり設計図を描いたり,頭の中の構想を実現する科学者的な仕事に興味を持つ。

ところで,カーシー博士の本でもそうだが,この世界には実際に少数派であるはずのN型についてのほうが,圧倒的に説明が多い。どうやら,この手の本を書くような人間はN型が多いようなのだ。それゆえに描写もつい熱が入る。「セルフヘルプ術」でもENFPやINTJの描写にそれぞれ4ページ超も費やしているのに,ESTJの描写は2ページも満たなかったりする。この本には翻訳者が2人いるが,2人ともNFだと自ら述べている。そしてかくいう私もNFである。カーシー博士自身もそうであるようだ。 描写が多いのは,そのせいもあるし,N型そのものの発想が「分かりにくい」から説明を要するということもあるだろう。なにしろNF・NT合わせても人口の15%だというのだ。85%の人にはピンとこないのである(もちろん,何度も言うが,「度合い」もある。NとSが拮抗している人も多いはずだから,実際にはそこまで15%の人間が「理解されにくい」というわけでもなかろう)。

先にも書いた「飛躍」であるが,「現実」とその「直観(飛躍)」とのギャップを,本人は埋めようと努めるとはいえ,その分ある意味では時間やエネルギーのロスが生まれてしまったりする。現実を処理するにはS型の方が圧倒的に有利だし,大多数がS型であるということはとりもなおさず,現実世界の価値観はS型的であるということになる。それゆえにこそ,N型であるカーシー博士を始め,言葉でものを伝えたいと考える多くのN型はつい,別の価値観も伝えたくなってしまってこういう研究をしたり本を書いたりするのであろう,これにはまる私もまさにそれである。

P.S. lithiumさんがご自分の日記で,S型についての描写は単に「N型ではない」ということですまされる傾向があるというようなことをお書きだったと思うが,どうしてもそうなってしまうのである。S型は世界のスタンダードなので,とりたてて説明する気にならなくなってしまうのだ。

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