概説 〜なぜ「タイプ論」か
originally written on 2002.5.1                            

(このセクションは,私が最近はまっている「カーシー博士の人間関係セルフヘルプ術」という本を元にしています。)(注:残念ながら販売元では絶版になっているみたいです。アマゾンなどでは古本で買えるかも。08/02/11追記)

カーシー博士の「性格診断」は,カーシー博士が創案したものではなく,紀元前4世紀のヒポクラテスに始まる人間の「四気質」論から脈々と論じ続けられた流れに乗っている。なぜか,古来から人間の「気質」を分けると「4つ」になるのである。多くの哲学者や心理学者が人間を4つに分類したが,その分類基準は言語的には微妙に異なっているものの,おおざっぱに括れば似た概念とも言える。たとえばここに,ある分類基準によって4つの異なる気質とされる4人がいたとして,その4人が別の学者の説による分類で分類し直しても,やはり4つに分かれてしまうのだ。
しかし,一時的には,「人間のふるまいは,無意識下の動機か,過去の経験か,あるいはその両方で説明されるようになった」…つまり,人間の根本はみな同じであり,後天的な外部の状況によって現れるものが違ってくるという考え方が主流になった。
だが再び,1950年代に,人間は根本的な部分でそれぞれ異なっている,とする「ユングのタイプ論」が再発見され,それに基づいて考案された「マイヤーズ・ブリッグズ式分類表」が非常に広まって,気質論に対する関心が復活した。カーシー博士の本は,この「マイヤーズ・ブリッグズ式分類表」を分かりやすく解説しているものである。
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人間の「性格」がそれぞれ違うのは「あたりまえ」と思えるかもしれない。しかしそう思っていながら,人は案外,「根本的な部分での違い」が認識できないという気もする。あまりに根本的すぎるからだ。無意識に,その点では人はみな同じ,と思いこんでいる。たとえば,「それは本能的なものでしょう」などと。ユングによれば,「本能の集合体(アーキタイプ=原型)」は人類共通だが,その人を最も強く突き動かす「本能」は人によって「選択」されるということだ。
その違いの存在を知るだけでも,人間関係に大きな意味がある。相手が「間違っている:直すべき」――というわけでないことが分かるからだ。その違いが何によってきたるものか,は分からないが(少なくともこの本で論じられてはいないが,遺伝でもないようである)それは「直せる」ようなものではないし,直した方がいいものでもないのである。

自分にとっては何が大事なのか・・たとえば,ごく単純に,どういう「ほうび」をもらうと嬉しいのか。物質的なものか,言葉によるねぎらいか。何を評価してもらうと嬉しいのか。能力か,優しさか。何を求めて行動するのか。向上したいから行動するのか,行動が楽しいから行動するのか。自分のことを理解し,さらに他のタイプのことも理解すると,その人とのつきあい方も変わってくる。単純に,たとえばその人を喜ばせたいとき,どうすれば一番喜ばれるのかが分かったほうがいい。またある人がある行動をしたとき,誤解が少なくて済む。この人は私を喜ばせようとしてこうしたのだ,とか,少なくとも悪気があってこうしたわけではない,ということが実感として分かるから。どういう行動をするとこの人には耐え難い苦痛になるのか知ることも,相手を不必要に傷つけない配慮に有効だ。たとえ相手の「型」を知らなくても,自分とは違う「型」の発想の可能性を知っているだけでも,理解の幅は広がる。
少なくとも,違う発想をする相手にやたらと苛々しなくてすむようになったのは私にとっては収穫だった。

というわけで,私はこの「タイプ診断」の有用性を非常に重く考えているのである。
(それも,「人の心」「人との交流」が人生における一番の関心事であるNF型の私らしい反応かもしれないが・・・ちなみに,この本の著者については書かれていないものの,日本語への訳者も同じNF型だった)

 

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